愛と憎しみの果てに

2015年11月14日

   四月の中旬、私は入院しているまきを見舞うため車で山口へ向かった。十二月の末、今病院だから電話できないと言って切れて以来まきとは連絡が取れなくなっていた。それから何度電話してもメールを入れても返事はなかった。私はまきの旦那が彼女の携帯を使っているから連絡できないのだろうと思い、新しくプリペイドの携帯を買って五十猛神社のお守りと一緒に入院している病院へ送った。それでもまきからの連絡は全くなかった。彼女が以前から使っている携帯から電話があったのは年が明けてしばらく経ってからだった。かけてきたのはやはりまきの旦那だった。
「まきは宇部の大学病院に入院してます。一時危なかったけど、今は落ち着いてます」
私は危なかったと聞いて驚いた。まさかそんなに悪いとは思ってもいなかった。それまでいくら言っても病院へは行かない。入院したらお母さんと同じように帰れなくなると頑なに拒んでいた。だから入院して治療をちゃんと受けられると安心さえしていた。
「そうですか、容体が悪くなったら連絡してください」
「わかりました。連絡します」そう言ってまきの旦那は電話を切った。
「そんなに悪いとは」私の心は不安でいっぱいだった。まきの病気は癌だった。
まきの容体が急変して連絡があったとしても私はどうすることも出来なかった。私の存在はまきの旦那以外誰も知らないことでまきの家族や旦那の身内がいる臨終の場に行けるはずもなかった。その日から私は携帯が鳴るたびにまきの旦那からか、と着信表示を見ては別人だと分かるとほっと安心した。それから一ヶ月経っても二カ月たってもまきの旦那からなんの連絡もなかった。私はまきがどんな状況なのかまったく知ることが出来ず最悪のことも考えた。もうまきは亡くなっていてまきの旦那が連絡をしないだけではないだろうかとも思った。私は居ても立ってもいられなかった。とにかく山口に行かなければ何も分からない、行ってまきがどんな状況なのか知りたかった。その日の午前八時ごろ家を出、東九州自動車道の日向インターから高速に乗り高千穂を経由し熊本から九州自動車道に入った。まきが入院している山口医科大学付属病院のある宇部市に着いたのは午後三時過ぎだった。


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Posted by mplan at 16:35 | Comments(0) | 小説
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